恭仁宮跡(読み)くにきゅうせき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「恭仁宮跡」の意味・わかりやすい解説

恭仁宮跡
くにきゅうせき

京都府南端部,木津川市中北部の瓶原 (みかのはら) を中心とする古代都城址恭仁京が置かれた。天平 12 (740) 年 12月平城京より遷都し,同 13年 11月大養徳恭仁大宮 (やまとのくにのおおみや) と号した。同 16年の難波京遷都,同 17年の平城京遷都以降はしだいに荒廃した。同 18年,恭仁京の大極殿が山城国分寺に施入されたことが『続日本紀』にみえるが,1976年の発掘調査によって,大極殿がそのままの位置で国分寺の金堂として利用されていることが明らかになった。国指定史跡。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...

洒涙雨の用語解説を読む