恭仁宮跡(読み)くにきゅうせき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「恭仁宮跡」の意味・わかりやすい解説

恭仁宮跡
くにきゅうせき

京都府南端部,木津川市中北部の瓶原 (みかのはら) を中心とする古代都城址恭仁京が置かれた。天平 12 (740) 年 12月平城京より遷都し,同 13年 11月大養徳恭仁大宮 (やまとのくにのおおみや) と号した。同 16年の難波京遷都,同 17年の平城京遷都以降はしだいに荒廃した。同 18年,恭仁京の大極殿が山城国分寺に施入されたことが『続日本紀』にみえるが,1976年の発掘調査によって,大極殿がそのままの位置で国分寺の金堂として利用されていることが明らかになった。国指定史跡。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android