恵信尼所(読み)えしんにびようしよ

日本歴史地名大系 「恵信尼所」の解説

恵信尼
えしんにびようしよ

[現在地名]板倉町米増

米増よねます集落北側の水田中にあり、親鸞の妻恵信尼の墓所といわれ、古びた五輪石塔と恵信尼記念館がある。恵信尼は当地の豪族三善為教の娘として寿永元年(一一八二)に生れ、時期は不明だが親鸞と結婚、親鸞の越後流罪中の建暦元年(一二一一)第三子信蓮房を越後で産んだ。建保二年(一二一四)勅免された親鸞に同行して常陸に移る。親鸞帰京に伴い京都へ移ったと思われるが、親鸞活動中の康元元年(一二五六)までには越後に帰った。当地での恵信尼は信蓮房・益方入道などの子息や、娘小黒女房の遺児などとともに生活し、下人も数家族を擁していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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