惣社宮跡(読み)そうじやぐうあと

日本歴史地名大系 「惣社宮跡」の解説

惣社宮跡
そうじやぐうあと

[現在地名]下関市大字豊浦町

もと功山こうざん寺の北東に鎮座し、祭神は大己貴命をはじめ天神地祇。

惣社宮はかつて国中の諸社を国府の一ヵ所に勧請して国守の参拝の便を図ったものという。「豊府志略」に「縁起焼失するゆへ由所不詳、或説に王代の古庁屋政所の跡なるよし、又一説には、惣社宮は諸国ともにあり、新甞の社なり、故に春秋両度社祭あるよし(中略)又一説には、皇后三韓征罰の祈のため、此所に於て六十余州の大小の神祇を勧請ありし故、惣社宮と云ひ(中略)両説ともに所見なき故不審」とある。

毛利氏八箇国時代分限帳によれば、社領・惣社祭日・修理料ともに一五石二斗が与えられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む