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千々石 ちぢわ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

千々石
ちぢわ

長崎県南東部,雲仙市北西部の旧町域。島原半島の西岸,橘湾 (千々石湾) に臨む。 1928年町制。 2005年国見町,瑞穂町,吾妻町,愛野町,小浜町,南串山町と合体して雲仙市となる。中世の豪族千々石氏の根拠地,釜蓋城跡がある。天正 10 (1582) 年ローマ教皇のもとに派遣された少年使節 (→天正遣欧使節 ) の一人千々石ミゲルの出身地。千々石断層崖下の沼沢地の海岸には砂丘が発達し,海水浴場としてにぎわう。ハマチの養殖が行なわれ,カタクチイワシの煮干し加工が特産物。農業は米,ジャガイモのほか,レンコンを特産する。東部の山岳一帯は雲仙天草国立公園に属する。

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大辞林 第三版の解説

ちぢわ【千々石】

姓氏の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

千々石
ちぢわ

長崎県南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(千々石町(ちょう))。現在は雲仙(うんぜん)市の中央部を占める。旧千々石町は1928年(昭和3)町制施行。2005年(平成17)国見(くにみ)、瑞穂(みずほ)、吾妻(あづま)、愛野(あいの)、小浜(おばま)、南串山(みなみくしやま)の6町と合併、市制施行して雲仙市となった。旧千々石町域は島原半島の北西部に位置し、雲仙岳西麓(ろく)に広がる。千々石断層崖(がい)下に発達する地域で、橘(たちばな)湾に臨む千々石低地は、『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』に記されている土歯(ひじは)ノ池に相当し、古くは入り江であったが海岸砂丘の発達とともに潟(かた)(池)となり、さらに陸化したもので、低地内に残存する蓮田(はすだ)はその名残(なごり)である。国道57号が通じ、JR長崎本線諫早(いさはや)駅からバスがある。地域の中心野田地区は近世には旧街道沿いの街村であった。主産業は農業。小倉(おぐら)には中世、千々石氏の山城(やまじろ)があり、初代城主は天正(てんしょう)遣欧使節千々石ミゲル(本名清左衛門(せいざえもん))の父という。山麓(さんろく)に日露戦争の軍神とされる橘周太(1865―1905)中佐を祀(まつ)る橘神社がある。西部の海岸砂丘上には塩屋(しおや)、塩浜(しおはま)、船津(ふなづ)の漁業集落があり、イワシ網と煮干しを主とし、近年ハマチ養殖を導入。塩屋には海水浴場がある。[石井泰義]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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