慰礼城(読み)いれいじょう(その他表記)Wirye-sǒng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慰礼城」の意味・わかりやすい解説

慰礼城
いれいじょう
Wirye-sǒng

朝鮮,古代三国の一つ百済最初首都。『三国史記』によれば百済の始祖東北扶余系出身で,南下して慰礼に都を定め,まもなく漢水 (漢江) の南に移ったとされ,慰礼の地は未詳となっている。今西龍は慰礼城も南漢山城も同一で,王の居城が同一地域内で移動したにすぎないという説を立て,慰礼の地を現在の京畿道広州に比定している。

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世界大百科事典(旧版)内の慰礼城の言及

【百済】より

…この地理的条件は百済建国当初からのもので,百済史の特質ともなったものである。
[第1期――小国統合時代]
 王都慰礼城の位置は,近年の発掘調査の結果,ソウル市城東区風納里とする説が有力となった。この期の百済領域は,南漢江下流域を中心とする地方とみられる。…

【広州】より

…この地域には,櫛目文土器時代(新石器時代)の集落跡として著名な岩寺洞遺跡をはじめ,無文土器時代(青銅器時代)に入ると,可楽洞や駅三洞で住居跡が調査されている。紀元前18年に百済の始祖温祚(おんそ)王は慰礼城で建国し,紀元後,都を漢山に移し,475年に熊津(ゆうしん)(現,公州)に遷都するまでここに都したと伝える。慰礼城の所在地をめぐって諸説があり,いまだ確定していないが,漢山を広州に比定する点では支持者が多い。…

【ソウル】より

…同地域の風納洞土城は,中国,魏の帯方郡治跡もしくは三国時代百済の都城と推定される。《三国史記》によると,そのころ慰礼城ないしは漢山,漢城などと呼ばれた。その周辺には,石村洞古墳群など百済前期の墳墓群が知られる。…

※「慰礼城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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