日本歴史地名大系 「懸川庄」の解説 懸川庄かけがわのしよう 静岡県:掛川市懸川庄室町時代にみえる庄園。中世の懸川付近と思われるが、庄域は不明。文明五年(一四七三)一一月二四日に足利義政は今川義忠に「普広院領遠江国懸革庄代官職」を預け置いた(「足利義政御判御教書写」今川家古文章写)。普広(ふこう)院は京都相国(しようこく)寺の塔頭で足利義教の菩提所であり、その所領は広い意味での足利家料所といえる。「宗長日記」に「義忠入国、子細は、河勾庄普光院領・懸川庄普広院の改替、ともに御判ありて、入部の事」とあり、「御判」が前掲御教書をさすとすれば、義忠は懸川庄と河勾(かわわ)庄(現浜松市)の拝領をきっかけに遠江に入部したことになる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by