引間(読み)ひくま

百科事典マイペディア「引間」の解説

引間【ひくま】

遠江国にあった中世の地名。引馬・曳馬などとも書く。現在の静岡県浜松市の市街付近に比定される。《万葉集》に〈引馬野ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに〉と詠まれている〈引馬野〉は,遠江国あるいは三河国に比定する二つの説がある。東海道宿駅として知られた。《吾妻鏡》建長4年(1252年)3月25日によれば,宗尊(むねたか)親王が鎌倉下向の途中に〈引間〉を通過している。《十六夜(いざよい)日記》建治3年(1277年)10月22日条に〈引馬の宿〉が登場するが,〈此所の大方の名は,浜松とぞ言ひし〉と記されており,この地には平安末期から浜松荘が存在していた。交通の要衝であるとともに,浜松荘の経済の中心でもあり,1456年の徳政一揆では蒲御厨(かばのみくりや)(現浜松市)の農民が引間市の土倉(どそう)を襲撃している。室町期には三河吉良(きら)氏の被官(ひかん)巨海(おおみ)氏が引間城を築城したといわれる。1517年今川氏親(うじちか)が引間城を攻め,かつての遠江国守護斯波氏と吉良氏の勢力を一掃,この地を遠江国の領国経営の拠点とした。今川氏の没落後,1570年に徳川家康浜松城を築いて三河国岡崎城(現愛知県岡崎市)から移り,この頃から浜松の地名が一般化し,引間の呼称はしだいにみられなくなっていった。

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世界大百科事典 第2版「引間」の解説

ひくま【引間】

遠江国(静岡県)の古代,中世の宿駅。引馬,曳馬,疋馬などとも書く。その名は古代からみられると考えられるが,いまだ確証をえない。《吾妻鏡》の建長4年(1252)3月25日の条に〈昼引間,夜池田〉と見え,また《十六夜いざよい)日記》にも引間宿に泊まるとあり,中世の紀行文などにはしばしば現れる。東海道交通の要地であるばかりでなく,浜松荘の荘園市場にはじまり,遠江の商業流通の中心地として,とくに室町期には市も発達した。

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世界大百科事典内の引間の言及

【蒲御厨】より

…15世紀中ごろ,守護斯波氏の被官応嶋氏や三河の吉良氏被官大河内氏などが代官として入部し,蒲御厨の諸公文百姓等をひきよせて勢力を争った。蒲御厨は浜松荘引間(ひくま)市に近く,1456年(康正2)には蒲御厨百姓等が徳政一揆をおこして,引間市の土倉を襲撃したこともあった。戦国時代には今川氏の制圧下に入った。…

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