今川義忠(読み)いまがわ よしただ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今川義忠」の解説

今川義忠 いまがわ-よしただ

1436-1476 室町時代武将
永享8年3月生まれ。今川範忠の子。寛正(かんしょう)2年駿河(するが)(静岡県)守護となる。応仁(おうにん)の乱では東軍に属し,京都へ出兵細川勝元の命で遠江(とおとうみ)(静岡県)に侵入。国人領主の横地氏,勝間田氏を討った帰途,文明8年2月9日その残党に殺された。41歳。通称は彦五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今川義忠」の意味・わかりやすい解説

今川義忠
いまがわよしただ

[生]応永33(1426)/永享8(1436)
[没]文明8(1476)/文明11(1479).2.
室町時代末期,駿河の守護大名。範忠の子。上総介,治部大輔。応仁・文明の乱で,細川方 (東軍) に属し,戦死

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世界大百科事典(旧版)内の今川義忠の言及

【今川氏】より

…足利氏の一族で,駿河を本拠として遠江・三河にも進出した守護大名,戦国大名。足利義氏の子吉良長氏の次子国氏が三河国幡豆郡今川荘を領して今川氏を称したことに始まる。今川氏発展の基礎を作った範国は,足利尊氏に従って行動し,鎌倉幕府滅亡後,遠江・駿河両国守護や室町幕府の引付頭人に任じられた。以後,駿河守護職は今川氏によって世襲され,範氏,氏家,泰範,範政と伝えられた。また,範国の次子貞世(了俊)は長く九州探題として活躍した。…

【駿河国】より

…旧国名。駿州。現在の静岡県の中東部,大井川以東,伊豆半島を除く地域に位置する。
【古代】
 東海道に属する上国(《延喜式》)。国名スルガは,富士川以東の地域にあった〈珠流河国〉の名を継承したものと思われる。珠流河国造と廬原(いおはら)国造の支配領域をあわせて駿河国が形成されるのは7世紀中葉と思われ,680年(天武9)には2郡を割いて伊豆国を分置した。志太(しだ),益頭(津)(ましつ),有度(うと),安倍,廬原,富士,駿河の7郡を有し,当初は中国であったが,奈良時代末の768年(神護景雲2)ころまでには上国に転じた。…

【遠江国】より

…しかし斯波氏は越前,尾張の守護を兼ね,遠江を本拠としなかったため,今川貞世(了俊)や仲秋系の遠江今川氏の勢力が根強く残った。応仁・文明の乱では遠江守護斯波義廉が西軍に,駿河守護今川義忠が東軍に投じたため,遠江では国人領主層も含めて乱の渦中に巻き込まれた。なお遠江の国人領主には,室町幕府の奉公衆になったものも多い。…

※「今川義忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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