日本歴史地名大系 「成広谷」の解説 成広谷なひろだに 広島県:双三郡三和町羽出庭村成広谷[現在地名]三和町羽出庭羽出庭(はでにわ)の南半を占める谷で、毛利元就がここで陣そろえをして出陣したという。「芸藩通志」に「毛利氏陣屋を構へし地なり、今に門出(かどで)屋敷とよぶ、元就出陣の祝辞に、陣は鶴翼羽出庭、兵は大力谷、楯は板木村と近傍の村名によりていはへるよし、里人言ひ伝へり」と記す。天正五年(一五七七)三月、大坂の石山(いしやま)合戦に際して毛利輝元は播磨へ出陣しようとしたが、そのときの福間彦右衛門宛書状(「閥閲録」所収福間彦右衛門家文書)にも「去十六日至備後伊多岐出張候、諸勢打揃、即時播州表可及行候」とあり、この「伊多岐」も成広谷をさすものであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の成広谷の言及 【三和[町]】より …敷名の美波羅川谷口には戦国期,毛利氏の一族敷名氏の拠った奴原(ぬばら)城跡がある。羽出庭(はでにわ)南部の成広(なひろ)谷は,毛利元就が陣揃えをして出陣したところという。国道375号線が南北に貫き,三次市と結ばれる。… ※「成広谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by