日本歴史地名大系 「羽出庭村」の解説 羽出庭村はでにわむら 広島県:双三郡三和町羽出庭村[現在地名]三和町羽出庭福田(ふくだ)村の南に位置し、西は安芸国高田郡。西から南にかけては山地で、東は板木(いたき)川とその支流が流れ集落が集まる。村名について「芸藩通志」は「按に民間稲穂を懸晒(かけほ)す木をはでと呼ぶ、堀川百首に見ゆ、しかればもとはでを建る場といふ義に取れりや」としている。近世に御通り筋とよばれた高田郡吉田(よしだ)町と世羅郡甲山(こうざん)町を結ぶ往還が村の中央を通り、往還に接して字市(いち)の集落が発達し、その東端には傾城田(けいせいでん)とよぶ中世の遊女屋敷跡と伝える地もある。 羽出庭村はでにわむら 福島県:田村郡小野町羽出庭村[現在地名]小野町上羽出庭(かみはでにわ)・塩庭(しおにわ)小塩(おしお)村の南、夏井(なつい)川支流の九生滝(くりゆうだき)川中流域の丘陵と山地に立地。永享―文安年間(一四二九―四九)頃と推定される三月三日の中務少輔家持書状(遠藤白川文書)に「小野保之内田原屋・羽出庭彼二郷」とみえ、羽出庭郷は白河殿と談合して中務少輔家持の知行が認められた。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に村名がみえ、高一千六三四石余、田丸氏の知行地。以降の領主の変遷は小野新町(おのにいまち)村に同じ。寛永四年(一六二七)の領内郷帳写(東北大学附属図書館蔵)でも同高。元禄期(一六八八―一七〇四)の白河藩領高付帳(小針家文書)では高一千五四三石余。享保二年(一七一七)の白河藩領高付帳(二瓶家文書)では上・下二ヵ村に分立しており、上羽出庭村の高七七一石余、下羽出庭村の高七七一石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by