成東村(読み)なるとうむら

日本歴史地名大系 「成東村」の解説

成東村
なるとうむら

[現在地名]成東町成東

現成東町の北西部に位置し、作田さくだ川が流れる。銚子へ至る道と東金とうがねに至る道がある。中心部は町場化し、村はかみ町・下町に二分してよばれることもあった。成戸・鳴戸とも記す。千葉氏一族成東氏の本拠成東城が築かれていた。天正一八年(一五八〇)徳川氏家臣の石川康通が成戸に二万石を与えられ、慶長五年(一六〇〇)に美濃大垣おおがき(現岐阜県大垣市)に移るまで成東領を支配した(寛政重修諸家譜)。同七年同領は関東総奉行青山忠成の管轄となる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に成戸村とみえ、高一千四七六石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では成東上組に属した成東が旗本中根領で高七二六石余、成東下組に属した下成東が旗本中山領で高七二六石余。元禄一三年(一七〇〇)下総結城藩領となり、幕末まで同藩領(下総結城藩領知目録など)

元禄一四年の成東両町明細帳(長沢家文書)によれば、上町分は高七三七石余、上田一五町余(石盛一四、以下二ツ下がり)・中田一二町四反余・下田二五町三反余、上畑二町三反余(石盛八ツ)・中畑二町九反余・下畑一一町余、屋敷三町二反余、ほかに新田九町三反余・新畑一町二反余、野高一〇石余・夫銭永一貫九七〇文、御林(馬口・宮脇・天神)、家数一〇九(本百姓九一・借地一八)・人数五八一(うち僧一七)、馬四二・犬二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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