朝日日本歴史人物事典 「成瀬正肥」の解説
成瀬正肥
生年:天保6.12.12(1836.1.29)
幕末の尾張(名古屋)藩付家老。犬山藩主。幼名欽之助,小吉,号は双山。丹波篠山藩主青山忠良の3男。安政2(1855)年,20歳のとき,尾張藩付家老成瀬隼人正正住の婿養子となり,同4年遺跡相続。文久3(1863)年,一時幽閉されていた前藩主徳川慶勝の上洛に従い,朝幕の周旋に尽力。元治1(1864)年の長州征討では総督慶勝を補佐。その代役として広島国泰寺に赴き,切腹した長州藩家老益田弾正,国司信濃,福原越後の首実検を行う。鳥羽・伏見の戦では皇居を防衛。王政復古後,成瀬家は初めて朝廷の藩屏の列に加えられ,正肥は参与会計事務局権判事に就任。版籍奉還ののち犬山藩知事となったが,廃藩に伴い東京に移住した。
(岩下哲典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報