尾張(おわり)国丹羽(にわ)郡犬山城(愛知県犬山市)に藩庁を置く小藩。関ヶ原の戦い後小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)が入封。ついで1607年(慶長12)平岩親吉(ひらいわちかよし)が入封したが、11年嗣子(しし)なく断絶。一方、徳川家康の側近で3万4000石の成瀬正成(なるせまさなり)は、主命に従って、1607年尾張藩祖徳川義直(よしなお)(家康九男)の傅役(もりやく)となり、10年家老として付属、17年(元和3)犬山城を預けられた。知行(ちぎょう)高も若干の変遷を経たのち、3代正親(まさちか)が家督を継いだ1659年(万治2)3万5000石となった。しかし尾張家家臣のため藩とは認められなかった。これを残念に思う7代正寿(まさなが)・8代正住(まさずみ)父子は激しい独立運動を展開、かなりの成功を収めたが実現しなかった。1868年(慶応4)正月、9代正肥(まさみつ)は朝廷により藩屏(はんぺい)に列せられ、藩成立。正肥は暫時尾張国政に関与したので、藩領の尾張藩返還も求められずにすんだ。管地は尾張愛知、春日井(かすがい)、丹羽、葉栗(はぐり)、中島(なかしま)、海東(かいとう)、海西(かいさい)、知多(ちた)、および美濃(みの)中島、安八(あんぱち)、多芸(たき)郡内。1869年6月版籍奉還、71年犬山県から名古屋県、のち愛知県となった。
[林 董一]
『『新編物語藩史 第5巻』(1975・新人物往来社)』▽『『犬山市史』全13巻(1979~ ・犬山市)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
※「犬山藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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