成田氏館跡(読み)なりたしやかたあと

日本歴史地名大系 「成田氏館跡」の解説

成田氏館跡
なりたしやかたあと

[現在地名]熊谷市上之 中宿

荒川によって形成された自然堤防上に位置し、堀の内ほりのうち地名が残る。成田氏の居館で、成田氏の祖助高から八代目にあたる親泰までが居住したという(風土記稿)。「鎌倉大草紙」によると、結城合戦のさなか永享一二年(一四四〇)七月三日庁鼻和上杉憲信・長尾景仲が結城方の一色伊予守の籠る「成田が館」に発向して合戦となっているが、成田氏との関係は不明。文明一〇年(一四七八)一月古河公方足利成氏は山内上杉顕定と和し、上野より陣を成田に引いた。同年三月一〇日扇谷上杉定正・太田道真の軍勢入間いるま浅羽あさば(現坂戸市)の陣を追われた長尾景春は「成田御陣」に逃れ、千葉孝胤と相談を行った。その結果、景春らは羽生はにゆうへ布陣したが、同月二〇日定正の軍勢に攻められたため一戦も交えずに成田御陣へ退散した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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