朝日日本歴史人物事典 「長尾景仲」の解説
長尾景仲
生年:嘉慶2/元中5(1388)
室町時代の武将。山内上杉氏の重臣。武蔵・上野守護代。上野白井城(北群馬郡)城主で白井長尾氏の当主。左衛門尉。法名昌賢。房景の子で景守の養子という。永享の乱前後は,同族の長尾忠政・実景が上杉憲実を当主とする山内上杉氏の家宰職にあったが,景仲は憲実の子上杉憲忠の擁立を主導し,さらに宝徳2(1450)年には鎌倉公方足利成氏を討とうとして失敗するなど独自の動きを示している。そして享徳3(1454)年に憲忠が成氏に謀殺され,実景もこれに殉じると,一門の代表として山内上杉家の家宰の地位に立ち,上杉方の中心として活動することになった。翌康正1(1455)年,上杉持朝や太田資清と共に上杉軍を指揮して武蔵府中などで成氏方と戦い,一方で室町幕府に事態を報告してその後援を取り付け,さらに憲忠の弟の房顕を招いて上杉方の大将に据えた。そして武蔵五十子を中心にして成氏方と対陣を続け,寛正4(1463)年に76歳で死去した。景仲が混乱のなか上杉方の中核として活躍したことにより白井長尾氏の地位は高まり,その死後は子の景信が家宰職を継いで上杉軍を指導することになった。
(山田邦明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報