上之村(読み)かみのむら

日本歴史地名大系 「上之村」の解説

上之村
かみのむら

[現在地名]横川町上ノ

現横川町の西部、天降あもり川の上流金山きんざん川や馬渡まわたり川の上流に位置し、北の国見くにみ岳・安良やすら岳、南西烏帽子えぼし岳に挟まれた山間部の村。東は中之村、西は曾木そぎ郷の長野ながの(現薩摩町)、南は久留味くるみ(天降川支流)を境に溝辺みぞべ竹子たかぜ(現溝辺町)など。「上之名村」ともいった(三州御治世要覧)。応永七年(一四〇〇)二月一〇日島津元久は「横川院上村」を菱刈久隆に与えている(島津国史)


上之村
かみのむら

[現在地名]熊谷市上之・箱田はこだ一―五丁目・宮町みやちよう末広すえひろ三―四丁目・中西なかにし一―四丁目

埼玉郡おし領に所属(風土記稿)。上村・上ノ村などとも記される。荒川の沖積扇状地東端に立地。成田なりた堰の流末と村内の湧水が集まってほし川となり、村の北部を東流する。西は箱田村、南西は大里郡熊谷宿。中世は成田郷に含まれ、忍城(現行田市)移住前の成田氏の本拠地であった。「風土記稿」に「相伝フ当村古ハ成田村トイヘリ、何ノ頃ヨリカ今ノ唱ニ改テ、古名ハ僅ニ小名ニ残レリ、(中略)昔成田上村・成田中村・成田下村ト分チ呼シヲ、後年成田ノ二字ヲ省キ、ソノ後又中ノ唱ヘヲ廃シテ上村ニ合セシナルヘシ」とある。


上之村
うえのむら

[現在地名]堺市上之・三原台みはらだい三―四丁・高倉台たかくらだい四丁・晴美台はるみだい一丁

きた村の南に位置する泉北丘陵上の村。大鳥郡に属し、陶器とうき庄一〇ヵ村の一。古くは大村・上村とも称されたという(大阪府全志)。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図に「上野村」とみえ「大村寺」と合せて高二六六石余。この「大村寺」は当村の古名という大村のことか。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳には「上ノ村」とみえ、高三二四石余。その後大幅な変化なく幕末に至る。領主の変遷は北村に同じ。文政四年(一八二一)の家数四五・人数二一六(宝積院文書)元禄初年頃の当村の農業は田は稲と木綿の輪作、畑には菜種・煙草・蕎麦などを作付している(泉州志補遺)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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