成都事件(読み)せいとじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「成都事件」の意味・わかりやすい解説

成都事件
せいとじけん

1936年8月 24日に中国四川省成都で日本人新聞記者が民衆に殺された事件。満州事変以後,成都の日本総領事館は閉鎖されていたが,日本側は再開を決定し,中国側の反対にもかかわらず領事一行の派遣を強行,先行の記者が遭難した。中国側は犯人をすぐに処刑したが,日本側はこの事件に限定せず,華北防共協定の締結,中国政府,軍の日本人顧問受入れ,日華関税協定の締結と税率引下げ,華北における日本に有利な特殊制度の設定,反日朝鮮人の引渡しなど諸懸案を一括解決しようと迫った。国民政府は顧問の受入れ,防共協定,関税率などについての要求を受諾する方針を示し,9月から南京で張群外交部長と川越茂大使の間で日中会談が始ったが,11月に綏遠事件が起った結果,中国側が硬化したので,会談は打切られ 12月に成都事件は分離解決された。この南京会談は,日中戦争勃発前の最後の日中外交交渉といわれる。

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