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鳴滝組 なるたきぐみ

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世界大百科事典 第2版の解説

なるたきぐみ【鳴滝組】

昭和10年前後(1934‐37ころ)に京都の鳴滝の住人だった映画監督,脚本家のグループの名称。山中貞雄稲垣浩滝沢英輔荒井良平,土肥正幹,三村伸太郎八尋不二,藤井滋司の8人が〈梶原金八〉というペンネーム新しい自由な映画づくりをめざしてシナリオの合作や共同製作を行った。その意味では戦後のフランスの〈ヌーベル・バーグ〉,とくに映画研究誌《カイエ・デュ・シネマ》の批評家出身のグループに似た存在であったかと思われる。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の鳴滝組の言及

【時代劇映画】より

…そして,それがいわゆる左傾化した〈傾向映画〉の動きと結びついて,伊藤大輔監督《一殺多生剣》《斬人斬馬剣》,辻吉朗監督《傘張剣法》,古海卓二監督《日光の円蔵》(ともに1929)を生み,内田吐夢監督《仇討選手》(1931)まで,多くの問題作を出現させた。
[小市民映画と鳴滝組]
 世界大恐慌による不景気,戦争への歩みといった暗い世相の中,映画はサイレントからトーキーへと移り変わり,一方に検閲の強化もあって,時代劇は大きく変貌していく。その渦の一つの中心となったのは片岡千恵蔵プロダクションで,伊丹万作監督が《逃げ行く小伝次》《花火》などを経て,ほんものの剣聖がにせものに敗れるという話の《国士無双》(1932)で諧謔(かいぎやく)と風刺の精神を明朗かつ知的に打ち出し,《闇討渡世》(1932)では同じ姿勢で平手造酒の孤独を描いて,伊達騒動を背景にした《赤西蠣太》(1936)でその知的散文精神に基づく映画づくりを完成させる一方,稲垣浩監督《瞼の母》《一本刀土俵入り》(ともに1931),《弥太郎笠》(1932)などが,哀愁と明朗さに満ちた股旅もの映画のスタイルをつくり出した。…

※「鳴滝組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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