翻訳|Tintoretto
イタリアの画家。ベロネーゼと並んで16世紀後半のベネチア派を代表する巨匠。本名ヤコポ・ロブスティJacopo Robusti。染織職人(ティントーレtintore)の息子として生まれたところから〈ティントレット〉と通称される。修業時代については不明な部分が多い。ティツィアーノの工房で短期間働き,次いでポルデノーネG.A.Pordenoneやサルビアーティ,スキアボーネSchiavoneらの北イタリア・マニエリスム画家から感化を強く受けて自己の画風を形成したものと思われる。1539年には独立した工房をかまえ,48年のサン・マルコ同信会館のための大作《マルコの奇跡》(アカデミア美術館)で自己の様式と名声を確立。以後50~70年代にかけて次々と大規模な宗教画や肖像画の注文を受けるが,国際的な活動を展開したティツィアーノとは対照的に生涯ベネチアにとどまり,もっぱら同信会館(スクオラscuola)や教会堂,あるいは共和国政府のために制作した。64年サン・ロッコ同信会館の装飾に着手し,〈賓客の間〉に大作《キリストの磔刑》をはじめとする〈受難〉伝の諸画面を描く(1564-67)。また76-88年には大広間の天井と側壁に旧約・新約聖書伝の一大連作を制作し,自己の芸術の頂点を築く。
その工房には〈ミケランジェロの素描とティツィアーノの彩色〉という標語を掲げていたといわれ,また前者の彫刻作品の複製を多く所有していたことが知られるが,この2大巨匠の要素を吸収しながらも,まったく独自なモニュメンタルで劇的な様式を創造した。画風の特徴は,ひきのばされた人物の激越で雄弁なアクションの交錯と短縮法ポーズの饒舌なほどの駆使,意表をつくような大胆きわまる対角線構図,色彩をモノクロームにまで還元せんとする幻惑的な明暗対比,稲妻のようにすばやい筆触画法の名人芸などに見られる。70年代以降その様式はますますバロック的な幻想性を強め,エル・グレコのビジョンを先取りする。肖像画家としても重要で,ティツィアーノを簡略化した手法でベネチアの貴族や名士の鋭敏な肖像画を多く残した。息子のドメニコDomenico RobustiとマルコMarco R.,娘マリエッタMarietta R.も画家で,家族工房として父の大量の作品受注に協力したが,とくに80年代以降は工房の参加が強まり作品の質は低下した。ベリーニ以来のルネサンス期ベネチア絵画の黄金時代は彼をもって幕を閉じる。
執筆者:森田 義之
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イタリアの画家。本名はヤコポ・ロブスティで、ティントレットの通称は父親の職業である染物屋(ティントーレ)にちなむ。老ティツィアーノ、やや若年のベロネーゼとともに、16世紀後期のベネチア画壇における中心的人物であった。17世紀の文献は、彼がティツィアーノのもとに入門したのもつかのま、その素描の一つが師の目に留まるや、すぐさま工房から放逐されたと記しているが、その芸術形成期の歩みはつまびらかではない。これも文献の語るところによれば、ティントレットは工房内に「ミケランジェロの素描とティツィアーノの賦彩(ふさい)」というモットーを掲げていたらしい。確かにティツィアーノの賦彩法はティントレットの芸術の一つの出発点であったし、ミケランジェロやマニエリスムの様式を学んだ形跡がある。しかしその作品に顕著なのは、このような他者への依存ではなく、強烈な明暗の対比や、遠近法および短縮表現の効果的使用によってドラマチックな表現を生み出す大いなる独創性である。ベネチアの外に広く顧客を擁したティツィアーノとは異なり、ティントレットはベネチアに生まれ、その活動は終生ほとんど同市の外に及ぶことはなかった。一生の間におびただしい数の作品が荒々しくすばやい筆で制作されたが、娘のマリエッタ(1556生まれ)、息子のドメニコ(1560生まれ)、マルコ(1561生まれ)も画家となり、父の工房にあって、その活動を支えた。
1539年にはすでに独立した画家であったティントレットは、48年に聖マルコ信心会のために『キリスト教徒の奴隷を救う聖マルコ』(ベネチア、アカデミア美術館)を描き、一部の批判的な反応をも含めて、世人をして瞠目(どうもく)せしめた。62~66年にはふたたび同信心会のために聖マルコの奇蹟(きせき)を扱った作品3点を描いている。その最大の仕事は64年以降、約25年間に制作された聖ロッコ信心会本部(スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ)を飾る50点以上のカンバスである。最晩年には、パッラディオにより建設されたばかりのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂を『最後の晩餐(ばんさん)』(1592~94)などの作品で飾った。
[西山重徳]
『坂本満解説『ファブリ世界名画全集78 ティントレット』(1973・平凡社)』
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1518~94
イタリア,ヴェネツィア派の画家。ヴェネツィアで生没。初めティツィアーノに師事したが,ローマ滞在を機にミケランジェロらの影響を受け,多様な人体表現と動的構図をヴェネツィア派の伝統的な色彩と光の技法に取り入れた。大胆な短縮法,人体のねじれや引き延ばし,超自然的な明暗の対比などによって,動勢に富んだ劇的な画面を創出。マニエリスム様式への傾倒を示すのみならず,バロック様式の先駆となった。代表作は,スクオーラ・ディ・サン・ロッコなどヴェネツィアの同信会館のための宗教画連作,総督宮(パラッツォ・ドゥカーレ)のための諸作品など。
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…フィレンツェにおいては建築,彫刻,絵画が相互に有機的な関連をもって発展し,むしろ前二者が絵画を主導したのに対し,ルネサンス期ベネチアの美術の最も重要な特徴は,わずかな例外(建築のコドゥッチM.Coducciや彫刻のリッツォA.Rizzo等)を除いて,もっぱら絵画の分野において独自の発展と豊饒な歴史的成果の達成が見られたことであろう。ベネチア派はしたがって絵画的流派であり,またその代表的な芸術家(ジョバンニ・ベリーニからジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ベロネーゼまで)もフィレンツェ派の知的理論的で多能な天才たち(アルベルティからレオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロまで)とはまったく異なり,もっぱら感覚本位の専業画家であった。 ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。…
…フランドルのP.ブリューゲル(父)は,世界と人間に対するシニカルな見解とその世界像をアレゴリーによって表す複雑な主題性において,この潮流の中に加えられよう。第3の傾向は,主としてベネチアに繁栄した独自の絵画であり,ティツィアーノ,ベロネーゼ,ティントレットがこれを代表する。ティツィアーノとマニエリスムとの関係は論議中であるが,彼の作品は16世紀の半ばをすぎるにつれて宗教的情熱が強烈となり,自由なタッチによる大胆な絵画的表現が強まるとはいえ,最後まで合理性と自然らしさの枠を超えることのなかったことからみて,むしろ〈プレ(先期)・バロック〉的傾向とみるほうがふさわしい。…
※「ティントレット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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