ティントレット(その他表記)Tintoretto

翻訳|Tintoretto

デジタル大辞泉 「ティントレット」の意味・読み・例文・類語

ティントレット(Tintoretto)

[1518~1594]イタリア画家ベネチア派ティツィアーノ色彩ミケランジェロデッサンを学ぶ。強烈な明暗対比と動感あふれる表現を特色とし、晩年マニエリスム傾向を強めた。作「聖マルコの奇跡」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ティントレット」の意味・読み・例文・類語

ティントレット

  1. ( Tintoretto ) イタリアの画家。本名ヤコポ=ロブスティ。ベネチア派最後を飾る存在。ミケランジェロの形態とティツィアーノの色彩を目標とし、雄大で劇的な効果をあげる作風。バロック様式の先駆をなす。歴史画宗教画のほか肖像画にもすぐれる。(一五一八‐九四

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改訂新版 世界大百科事典 「ティントレット」の意味・わかりやすい解説

ティントレット
Tintoretto
生没年:1518-94

イタリアの画家。ベロネーゼと並んで16世紀後半のベネチア派を代表する巨匠。本名ヤコポ・ロブスティJacopo Robusti。染織職人(ティントーレtintore)の息子として生まれたところから〈ティントレット〉と通称される。修業時代については不明な部分が多い。ティツィアーノの工房で短期間働き,次いでポルデノーネG.A.Pordenoneやサルビアーティ,スキアボーネSchiavoneらの北イタリア・マニエリスム画家から感化を強く受けて自己の画風を形成したものと思われる。1539年には独立した工房をかまえ,48年のサン・マルコ同信会館のための大作《マルコの奇跡》(アカデミア美術館)で自己の様式と名声を確立。以後50~70年代にかけて次々と大規模な宗教画や肖像画の注文を受けるが,国際的な活動を展開したティツィアーノとは対照的に生涯ベネチアにとどまり,もっぱら同信会館(スクオラscuola)や教会堂,あるいは共和国政府のために制作した。64年サン・ロッコ同信会館の装飾に着手し,〈賓客の間〉に大作《キリストの磔刑》をはじめとする〈受難〉伝の諸画面を描く(1564-67)。また76-88年には大広間の天井と側壁に旧約・新約聖書伝の一大連作を制作し,自己の芸術の頂点を築く。

 その工房には〈ミケランジェロの素描とティツィアーノの彩色〉という標語を掲げていたといわれ,また前者の彫刻作品の複製を多く所有していたことが知られるが,この2大巨匠の要素を吸収しながらも,まったく独自なモニュメンタルで劇的な様式を創造した。画風の特徴は,ひきのばされた人物の激越で雄弁なアクションの交錯と短縮法ポーズの饒舌なほどの駆使,意表をつくような大胆きわまる対角線構図,色彩をモノクロームにまで還元せんとする幻惑的な明暗対比,稲妻のようにすばやい筆触画法の名人芸などに見られる。70年代以降その様式はますますバロック的な幻想性を強め,エル・グレコのビジョンを先取りする。肖像画家としても重要で,ティツィアーノを簡略化した手法でベネチアの貴族や名士の鋭敏な肖像画を多く残した。息子のドメニコDomenico RobustiとマルコMarco R.,娘マリエッタMarietta R.も画家で,家族工房として父の大量の作品受注に協力したが,とくに80年代以降は工房の参加が強まり作品の質は低下した。ベリーニ以来のルネサンス期ベネチア絵画の黄金時代は彼をもって幕を閉じる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ティントレット」の意味・わかりやすい解説

ティントレット
てぃんとれっと
Tintoretto
(1518―1594)

イタリアの画家。本名はヤコポ・ロブスティで、ティントレットの通称は父親の職業である染物屋(ティントーレ)にちなむ。老ティツィアーノ、やや若年のベロネーゼとともに、16世紀後期のベネチア画壇における中心的人物であった。17世紀の文献は、彼がティツィアーノのもとに入門したのもつかのま、その素描の一つが師の目に留まるや、すぐさま工房から放逐されたと記しているが、その芸術形成期の歩みはつまびらかではない。これも文献の語るところによれば、ティントレットは工房内に「ミケランジェロの素描とティツィアーノの賦彩(ふさい)」というモットーを掲げていたらしい。確かにティツィアーノの賦彩法はティントレットの芸術の一つの出発点であったし、ミケランジェロやマニエリスムの様式を学んだ形跡がある。しかしその作品に顕著なのは、このような他者への依存ではなく、強烈な明暗の対比や、遠近法および短縮表現の効果的使用によってドラマチックな表現を生み出す大いなる独創性である。ベネチアの外に広く顧客を擁したティツィアーノとは異なり、ティントレットはベネチアに生まれ、その活動は終生ほとんど同市の外に及ぶことはなかった。一生の間におびただしい数の作品が荒々しくすばやい筆で制作されたが、娘のマリエッタ(1556生まれ)、息子のドメニコ(1560生まれ)、マルコ(1561生まれ)も画家となり、父の工房にあって、その活動を支えた。

 1539年にはすでに独立した画家であったティントレットは、48年に聖マルコ信心会のために『キリスト教徒の奴隷を救う聖マルコ』(ベネチア、アカデミア美術館)を描き、一部の批判的な反応をも含めて、世人をして瞠目(どうもく)せしめた。62~66年にはふたたび同信心会のために聖マルコの奇蹟(きせき)を扱った作品3点を描いている。その最大の仕事は64年以降、約25年間に制作された聖ロッコ信心会本部(スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ)を飾る50点以上のカンバスである。最晩年には、パッラディオにより建設されたばかりのサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂を『最後の晩餐(ばんさん)』(1592~94)などの作品で飾った。

[西山重徳]

『坂本満解説『ファブリ世界名画全集78 ティントレット』(1973・平凡社)』

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百科事典マイペディア 「ティントレット」の意味・わかりやすい解説

ティントレット

イタリア・ルネサンスのベネチア派の画家。本名ヤコポ・ロブスティJacopo Robusti。ベネチア生れ。若いころティツィアーノの門に入り,後に〈ティツィアーノの色彩とミケランジェロのデッサン〉を目標として複雑な画面構成,劇的な動感,激情的で豊麗な色彩によるバロック絵画に近い大胆な様式に達した。作品の大半は公共の建築物や寺院のために描いた大規模な油彩壁画で占められる。代表作にベネチアの聖ロクス同信会の約70点に及ぶ壁画装飾(1564年―1587年),や《天国》(1588年―1592年,パラッツォ・ドゥカーレ大評議会広間油彩壁画),《最後の晩餐》(1592年―1594年,サン・ジョルジョ・アジョーレ聖堂蔵)などがある。
→関連項目グレコプラド美術館ベロネーゼ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ティントレット」の意味・わかりやすい解説

ティントレット
Tintoretto

[生]1518.9/10. ベネチア
[没]1594.5.31. ベネチア
イタリアの画家。本名 Jacopo Robusti。染物師 tintoreの息子であったため tintoretto (小染物師) の名がついた。 P.ベロネーゼとともに爛熟期のベネチア派の代表者。初め V.ティツィアーノの弟子であったが,1545~46年ローマに旅行し,ミケランジェロやマニエリストたちの感化を受けた。 48年の『囚人を救い出す聖マルコ』 (ベネチア・アカデミア美術館) は,ベネチア伝統の華麗な色彩とマニエリスムの形式,構図を融合した画風がすでに完成していることを示す。 64~87年スクオーラ・ディ・サン・ロッコの壁画,天井画として新約聖書と聖ロッコの生涯を描いた。またパラッツォ・ドゥカーレの再興にあたり『天国』 (1588~90) を含む膨大な絵を制作。晩年には『最後の晩餐』 (ベネチア,サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂) を描く。彼の光,色彩の劇的な効果,歪曲した空間表現などの技法は 16世紀後半のマニエリスムの発展に大きな影響を与えた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ティントレット」の解説

ティントレット
Tintoretto (本名 Jacopo Robusti)

1518~94

イタリア,ヴェネツィア派の画家。ヴェネツィアで生没。初めティツィアーノに師事したが,ローマ滞在を機にミケランジェロらの影響を受け,多様な人体表現と動的構図をヴェネツィア派の伝統的な色彩と光の技法に取り入れた。大胆な短縮法,人体のねじれや引き延ばし,超自然的な明暗の対比などによって,動勢に富んだ劇的な画面を創出。マニエリスム様式への傾倒を示すのみならず,バロック様式の先駆となった。代表作は,スクオーラ・ディ・サン・ロッコなどヴェネツィアの同信会館のための宗教画連作,総督宮(パラッツォ・ドゥカーレ)のための諸作品など。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ティントレット」の解説

ティントレット
Tintoretto
本名 Jacopo Robusti

1518〜94
イタリア−ルネサンス時代のヴェネツィア派の画家
ミケランジェロのデッサンとティツィアーノの色彩の統一を理想とし,明暗の鋭い対比と動的な構図を特徴とした。バロック様式の先駆をなし,近代絵画成立への道を開いた。代表作「アダムとイヴ」。

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367日誕生日大事典 「ティントレット」の解説

ティントレット

生年月日:1518年9月29日
イタリアの画家
1594年没

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世界大百科事典(旧版)内のティントレットの言及

【ベネチア派】より

…フィレンツェにおいては建築,彫刻,絵画が相互に有機的な関連をもって発展し,むしろ前二者が絵画を主導したのに対し,ルネサンス期ベネチアの美術の最も重要な特徴は,わずかな例外(建築のコドゥッチM.Coducciや彫刻のリッツォA.Rizzo等)を除いて,もっぱら絵画の分野において独自の発展と豊饒な歴史的成果の達成が見られたことであろう。ベネチア派はしたがって絵画的流派であり,またその代表的な芸術家(ジョバンニ・ベリーニからジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ベロネーゼまで)もフィレンツェ派の知的理論的で多能な天才たち(アルベルティからレオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロまで)とはまったく異なり,もっぱら感覚本位の専業画家であった。 ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。…

【マニエリスム】より

…フランドルのP.ブリューゲル(父)は,世界と人間に対するシニカルな見解とその世界像をアレゴリーによって表す複雑な主題性において,この潮流の中に加えられよう。第3の傾向は,主としてベネチアに繁栄した独自の絵画であり,ティツィアーノ,ベロネーゼ,ティントレットがこれを代表する。ティツィアーノとマニエリスムとの関係は論議中であるが,彼の作品は16世紀の半ばをすぎるにつれて宗教的情熱が強烈となり,自由なタッチによる大胆な絵画的表現が強まるとはいえ,最後まで合理性と自然らしさの枠を超えることのなかったことからみて,むしろ〈プレ(先期)・バロック〉的傾向とみるほうがふさわしい。…

※「ティントレット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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