朝日日本歴史人物事典 「戸田康長」の解説
戸田康長
生年:永禄5(1562)
安土桃山・江戸時代前期の武将,上野白井,下総古河,常陸笠間,上野高崎,信濃松本藩主。松平を称す。丹波守。三河松平氏の武将戸田忠重の子として三河二連木(愛知県豊橋市)に生まれる。永禄10(1567)年,父の死去で遺跡相続したとき,家康の異父妹と結婚,家康から松平姓を賜る。これが賜姓松平の最初といわれる。以後,高天神,小牧・長久手,小田原などに出陣。天正18(1590)年,徳川氏の関東入国に従い,武蔵深谷1万石。慶長5(1600)年関ケ原に活躍し,翌年白井2万石,翌年古河2万石,同17年笠間3万石,大坂冬夏両陣で戦功を立て,元和2(1616)年高崎5万石,翌年松本7万石。領内では検地による郷村把握や手工業の発展に尽くす。元和9年,新将軍家光に付属され,寛永9(1632)年秀忠死後に江戸城西之丸の留守居となったが,同年死去。<参考文献>金井円『近世大名領の研究』
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報