戸田忠利(読み)とだ ただとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田忠利」の解説

戸田忠利 とだ-ただとし

1637-1712 江戸時代前期-中期大名
寛永14年生まれ。戸田忠継(ただつぐ)(忠次)の次男元禄(げんろく)2年家老となり甲斐(かい)(山梨県)府中藩主徳川綱豊(つなとよ)にしたがう。宝永元年将軍継嗣として江戸城西丸にはいった綱豊(家宣(いえのぶ))の側役(そばやく)をつとめる。2年下野(しもつけ)(栃木県)足利(あしかが)藩主戸田家初代となる。1万1000石。正徳(しょうとく)2年7月24日死去。76歳。名は忠時(ただとき)とも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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