朝日日本歴史人物事典 「戸田忠至」の解説
戸田忠至
生年:文化6.8.11(1809.9.20)
幕末の宇都宮藩(栃木県)家老,高徳藩(同県)藩主。宇都宮藩主戸田氏の一族に生まれ,天保13(1842)年家老間瀬家を継ぐ。文久2(1862)年,同藩士大橋訥庵らが坂下門外での安藤信正襲撃事件関係者として逮捕され,藩に害がおよぶのを避ける目的もあって天皇陵修補の建白書を幕府に提出,藩主名代として山陵御締向御普請御用に命ぜらる。この間姓を戸田に改め,上洛して朝廷に建言,容れられて山陵奉行となる。修補工事は同3年末に終了。翌元治1(1864)年1月大名格を許され,慶応2(1866)年3月立藩。同3年7月若年寄,同12月新政府参与。その後は権弁事,内弁事,宮内大丞などを歴任。山陵修補という正義をいい立て,幕末の動乱にあって見事に保身を果たした。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報