戸田忠行(読み)トダ タダユキ

20世紀日本人名事典 「戸田忠行」の解説

戸田 忠行
トダ タダユキ

江戸時代末期〜大正期の大名,華族 貴院議員。



生年
弘化4年10月2日(1847年)

没年
大正7(1918)年12月31日

出生地
江戸

出身地
栃木県

経歴
第6代足利藩主戸田忠禄の子。本家の宇都宮戸田家から養子に入った7代藩主・忠文が没すると、その後を嗣ぎ、安政5年(1858年)10歳で8代藩主となる。維新の動乱期に当たり、慶応2年(1866年)藩の軍制度改革に着手。さらに20歳の時には幕府陸軍奉行並に任ぜられ、フランスの陸軍制度を伝習した。戊辰戦争時には新政府軍に味方し、維新ののち足利藩知事。明治4年廃藩置県で藩知事を辞し、東京に移って海軍御用掛などを歴任。のち華族として子爵に叙され、30年には貴族院議員となった。その間、錦秋女学校長を務めたほか、蘭交会を結成して旧領の家臣らとたびたび交流を温めた。漢詩をよくし、詩集に「弄雪遺稿」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田忠行」の解説

戸田忠行 とだ-ただゆき

1847-1918 幕末-大正時代の大名,華族。
弘化(こうか)4年10月2日生まれ。戸田忠禄(ただとみ)の4男。兄戸田忠文(ただあや)の養子となり,安政3年下野(しもつけ)(栃木県)足利(あしかが)藩主戸田家8代。幕府陸軍奉行並をつとめた。維新後,海軍省御用掛などをへて明治30年貴族院議員。子爵。大正7年12月31日死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android