戸田農場(読み)とだのうじよう

日本歴史地名大系 「戸田農場」の解説

戸田農場
とだのうじよう

明治二六年(一八九三)子爵戸田康泰が創設し、昭和二〇年(一九四五)まで戸田家が経営した農場。華族組合農場は明治二五年に解散となり、出資額に応じて蜂須賀・戸田・町村の三農場に分離独立することになった。戸田康泰は一九町余の有償払下げを受け、農場経営を始めた。農場事務所は尾白利加おしらりか一二番地に設置された。叔父にあたる戸田嶽が農場内に住み、札幌農学校卒の技術者河野義勝が補佐して、比較的安定した経営がなされた。しかし創設以来赤字経営で、明治三一年起業方法を牧農法から小作開墾法に転換した。主要作物は小豆七七町・粟二七町・いなきび二六町・大豆二五町・姉子豆一六町・そば一三町・菜種八町・燕麦八町・馬鈴薯八町であった(「戸田農場明治三三年農商関係綴」雨竜町百年史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android