日本歴史地名大系 「所子村」の解説
所子村
ところごむら
[現在地名]大山町所子
藩政期の拝領高は四八九石余、本免は三ツ七分。太田氏・多田氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高六一〇石、竈数五〇、天保九年(一八三八)の御巡見様御通行万端袖控(橋井家文書)では家数六四。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
藩政期の拝領高は四八九石余、本免は三ツ七分。太田氏・多田氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高六一〇石、竈数五〇、天保九年(一八三八)の御巡見様御通行万端袖控(橋井家文書)では家数六四。
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その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...