所子村(読み)ところごむら

日本歴史地名大系 「所子村」の解説

所子村
ところごむら

[現在地名]大山町所子

平木ひらぎ村の北西阿弥陀あみだ川西岸にある。北西から南東へ大山道(坊領道)が通る。「民経記」貞永元年(一二三二)七月六日条に「鴨氏人経有申社領伯耆国所子庄間事」とみえ、京都下鴨社領。経有の訴えを受けて、国司の免除したとおりに安堵する旨の関白御教書を発給するようにとの勅定があった。同月一〇日条では出納が奉った御教書を出すことになっており、摂関家が所子庄の何らかの権利を有していたとも考えられるが、他に所子庄についての史料がなく詳細は不明。庄域は所子を中心とした阿弥陀川下流域と考えられるが未詳。中世末には大山領で、慶長五年(一六〇〇)米子城に中村氏が配されると同寺から没収されたらしい。中村氏改易後の同一五年、西楽さいらく院僧正豪円が返付を願出た所領のうちに「所子」がみえる(「豪円書状写」西伯郡自治史)

藩政期の拝領高は四八九石余、本免は三ツ七分。太田氏・多田氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高六一〇石、竈数五〇、天保九年(一八三八)の御巡見様御通行万端袖控(橋井家文書)では家数六四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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