日本歴史地名大系 「所子村」の解説
所子村
ところごむら
藩政期の拝領高は四八九石余、本免は三ツ七分。太田氏・多田氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高六一〇石、竈数五〇、天保九年(一八三八)の御巡見様御通行万端袖控(橋井家文書)では家数六四。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
藩政期の拝領高は四八九石余、本免は三ツ七分。太田氏・多田氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高六一〇石、竈数五〇、天保九年(一八三八)の御巡見様御通行万端袖控(橋井家文書)では家数六四。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...