手取城跡(読み)てどりじようあと

日本歴史地名大系 「手取城跡」の解説

手取城跡
てどりじようあと

[現在地名]川辺町和佐

和佐わさの東方別所べつしよ谷奥のしろ(一七一メートル)の山上にある中世の山城本丸・二の丸・東の丸が一つの峰上にあり、西の丸は少し離れた所にあって空堀によって遮断されている。いわゆる一城別郭の形式をなす。当城に拠った玉置氏は平氏の末で、奥熊野に住み大和国吉野郡の玉置たまき山社司であったが、承久の乱で北条氏に属し八五町を領して地頭となったといわれ、その後一族は日高奥地に進出した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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