日本歴史地名大系 「和佐村」の解説
和佐村
わさむら
和佐村
わさむら
和佐村
わさむら
「地下上申」の村由緒に「但当所之儀南受之所柄ニ付、夏秋作共ニ田畠早物植付仕候故、往古ハ早稲村と申たる由ニ御座候ヘ共、いつ之比よりか和佐村と申来候事」とあり、旧村名と由来を記す。
慶長一五年(一六一〇)の検地帳に「和佐村」とみえ、総石高二三一石六斗余、うち田方が九町二反余で一三四石一斗余、畠方が一三町一反余で四四石一斗余とある。「注進案」によれば総田畠浜数は三〇町余で、総石高四一四石三斗余とある。このうち約半数は萩藩船手組の平岡善兵衛の給領地が占めていた。また当村は揚浜式塩田での製塩が行われ、「地下上申」に「塩浜之事」として詳細に報告されており、上ヶ浜数一七枚、出来塩八五六石八斗であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報