日本歴史地名大系 「才原村」の解説 才原村さいばるむら 大分県:大野郡野津町才原村[現在地名]野津町亀甲(かめこう) 才原・花の木(はなのき)・土橋(つちばし)塚田(つかだ)村の西、北西流する王子(おうじ)川南東岸にある。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には才原村が田中(たなか)村など四ヵ村と一括された一冊が含まれ、村位は下。同一一年の惣御高頭御帳に村名がみえ、高一九五石余。中ノ村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば、熊迫村分を含む本高二二一石余・出来高四六石余、田方二二〇石余・畑方四七石余。 才原村さいばらむら 京都府:船井郡和知町才原村[現在地名]和知町字才原広瀬(ひろせ)村の西、由良川北岸に位置する。北には山が連なり南に傾斜していくが、その山麓部に人家が並ぶ。この辺りの由良川は、下流に奇岩怪石の多い峡谷を控え、川幅も広く流れも緩やかである。南は由良川を越えて広野(ひろの)村、西・北は何鹿(いかるが)郡(現綾部市)。園部藩領。永正二年(一五〇五)三月七日付守護代内藤貞正施行状(片山文書)に「丹波国船井郡和知下庄除出野分沢田分才原事」とみえ、中世は和智(わち)庄の地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by