才谷(読み)さいたに

日本歴史地名大系 「才谷」の解説

才谷
さいたに

[現在地名]夜久野町字直見 才谷

近世の直見のうみ村に含まれる集落さい谷、すなわち直見村の果ての谷の意と思われる。「丹波志」に「直見村ノ内才谷ヨリ但馬国小坂村迄二十丁四十間牛馬道、但シ直見峠国境杭迄拾丁四十間、山中ヨリ峠迄三十二三丁」とあり直見峠(小坂峠)を越えて北接する但馬国(現兵庫県)に通じた。

才谷には深山みやまのたたら場とよぶ遺跡(才谷遺跡)がある。鉄滓が出土し、製鉄が行われていたと考えられる。夜久野地方は中国山地の一地帯で、砂鉄を含む花崗岩層が門垣かずか副谷そえだにはた村の西にしたにを結ぶ線以北、まき川上流直見川以東、栗尾くりおと才谷の境界辺りから北は今西いまにしと才谷の南を結ぶ線以北に存在する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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