押野庄(読み)おしののしよう

日本歴史地名大系 「押野庄」の解説

押野庄
おしののしよう

鎌倉後期から存在した庄園。庄域は野々市町押野・押越おしこし若宮わかみや町・横宮よこみや町とほん町北部、および金沢市の押野・八日市ようかいち横川よこがわ久安ひさやす一帯に比定される。このうち、「天文日記」天文五年(一五三六)一〇月一四日条に「押野庄内久安名」、同書同年一一月一二日条などに「加州押野公文横川」とみえる。正安四年(一三〇二)三月二〇日の継誉所領譲状案(摂津勝尾寺文書)に「かゝの国をしの庄」とみえ、内大臣法眼継誉から盛俊僧都に譲られている。一方、康永三年(一三四四)七月日の亮性法親王庁解(山城妙法院文書)に「加賀国押野庄」とある。これは延暦寺の妙法院門跡が相伝していた諸職・所領に関する証文の紛失証明となりうる官符宣旨を申請したもので、当庄は鎌倉期から同門跡領と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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