拾ヶ新田(読み)じつかしんでん

日本歴史地名大系 「拾ヶ新田」の解説

拾ヶ新田
じつかしんでん

[現在地名]小金井市東町ひがしちよう四丁目

下染屋しもそめや新田の南に位置し、東は押立おしたて新田、南は上小金井新田、西は下小金井新田。享保一二年(一七二七)押立村(現府中市)が開発した持添新田の一部。元文二年(一七三七)押立新田一三町五反余のうち一〇町二反歩に押立村の名主平右衛門が栗を植付け栽培し、毎年江戸城本丸・西丸へ栗実を献上、残りは出百姓の食料とした(「御代官川崎平右衛門発起書」比留間家文書)栗林の維持管理は平右衛門が幕府に登用されて代官になると、平右衛門のあとの押立村名主家に引継がれたが、享和元年(一八〇一)頃近隣の一〇ヵ町村(小金井村・梶野新田・関野新田・井口新田・上保谷新田・関前新田・野崎村・田無町・大沢村・境村)に管理がゆだねられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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