井口新田(読み)いぐちしんでん

日本歴史地名大系 「井口新田」の解説

井口新田
いぐちしんでん

[現在地名]三鷹市井口一―五丁目・大沢おおさわ三丁目・野崎のざき二―三丁目・深大寺じんだいじ三丁目

上連雀かみれんじやく村の西に位置。「風土記稿」に武蔵野新田のうちとして村名がみえ、幕府領上連雀村の権三郎(井口氏)が開発し、名字を村名としたという。村の広さはおよそ東西一〇町、南北は二―三町から七―八町。南方に当村持添新田の矢ヶ崎やがさき新田三石余、北方の玉川上水北岸に飛地の堀端がある。上連雀村を経て江戸に通じる道幅三間ほどの道(連雀通)が通る。井水が得にくい地であったので、玉川上水分流を利用した。化政期の家数四八。天保郷帳では高三四四石余。


井口新田
いのくちしんでん

[現在地名]湯之谷村井口新田

三国街道から湯之谷奥地に通じる銀山ぎんざん街道(現一部国道三五二号)への分岐点にあたり、湯之谷郷の入口を占める平坦地。西は小出島こいでじま(現小出町)、南は佐梨さなし(現同上)、東と北は吉田よしだ村・七日市なのかいち村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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