拾生村(読み)ひろおむら

日本歴史地名大系 「拾生村」の解説

拾生村
ひろおむら

[現在地名]大宇陀町大字拾生(ひろう)

松山(まつやま)町南部に位置する。慶長郷帳・元和郷帳には「ひろひ村」、寛永郷帳では「拾イ村」とみえる。「大和志料」所収の元禄郷帳には「異本広生ニ作ル」とあり、「大和志」には「旧名明城野(あきの)」とある。慶長郷帳の村高三五一・一一石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。元禄八年(一六九五)以降幕府領。元禄検地により村高は四五一・一四一石と大きく増高となった。

大宇陀町の中心集落の東側にある城山の中腹南斜面から、明治三一年(一八九八)銅製の蔵骨器を内に納めた四角の石櫃が発見され、拾生火葬墓と称されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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