挙母城跡(読み)ころもじようあと

日本歴史地名大系 「挙母城跡」の解説

挙母城跡
ころもじようあと

[現在地名]豊田市桜町・元城町・小坂本町

桜(さくら)城と七州(しちしゆう)城を併せての呼称。寛延二年(一七四九)の三河国挙母移封・城地取立書付(内藤家文書)に「上野国安中城御用ニ付、可被差上候、為代三河国挙母被下之、城地被仰付候間、城取立候様可被致候、依之金四千両被下之」とあり、挙母藩二万石の内藤氏居城として明治に至る。築城当初の城である桜城は、矢作川西岸、久澄橋の西に位置し、七州城は桜城より西南の台地上にある。両城ともに隅櫓の石垣が残り、桜城の基台の上辺は東西八・七メートル、高さ六・四メートルで、明和二年(一七六五)作事方一〇名の者によって隅櫓が築成されたと刻まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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