挙母城跡(読み)ころもじようあと

日本歴史地名大系 「挙母城跡」の解説

挙母城跡
ころもじようあと

[現在地名]豊田市桜町・元城町・小坂本町

さくら城と七州しちしゆう城を併せての呼称。寛延二年(一七四九)三河国挙母移封・城地取立書付(内藤家文書)に「上野国安中城御用ニ付、可被差上候、為代三河国挙母被下之、城地被仰付候間、城取立候様可被致候、依之金四千両被下之」とあり、挙母藩二万石の内藤氏居城として明治に至る。築城当初の城である桜城は、矢作川西岸、久澄橋の西に位置し、七州城は桜城より西南の台地上にある。両城ともに隅櫓石垣が残り、桜城の基台の上辺は東西八・七メートル、高さ六・四メートルで、明和二年(一七六五)作事方一〇名の者によって隅櫓が築成されたと刻まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む