撫石村
なでいしむら
[現在地名]北区淡河町神影
美嚢郡に属する。淡河川右岸の山間に位置し、西は石峯寺。石峯寺に与えた康永三年(一三四四)四月一六日の平政氏禁制(石峯寺文書)に「以五六月用水、不可撫石温屋温涌事」とあり、五、六月の田植の時期は用水を当地にあった石峯寺の湯屋のために使うことなどを禁じている。慶長国絵図に「撫村」「なでし」とみえる。寛永四年(一六二七)には田方一二三石余・六町六反余、畑方二九石余・三町五反余、屋敷高二石余・三反余(美嚢郡誌)。正保郷帳に村名がみえ田方一一八石余・畑方二五石余、芝山あり。元禄郷帳には「ナデイシ」と振仮名がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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