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田植(え) タウエ

デジタル大辞泉の解説

た‐うえ〔‐うゑ〕【田植(え)】

苗代で育てた稲の苗を水田に移し植えること。 夏》「渓流の音に雨添ふ―かな/水巴

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百科事典マイペディアの解説

田植【たうえ】

イネの苗を水田に植え付ける作業。日本の稲作はほとんどが移植栽培のため田植は欠かせぬ作業である。田植は,まず水田を耕起したのち水を入れて代掻(しろか)きを行い田面を平らにしてから行う。
→関連項目イネ(稲)早乙女田植歌泥打祝花田植

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世界大百科事典 第2版の解説

たうえ【田植】

水稲の苗を水田に移植する作業。世界的にみると,種子を直接水田にまく直播(ちよくはん)栽培もかなりあるが,日本では,水利条件不良などのごく一部の地方を除いて,ほとんどが苗を作って田植を行う。しかし,日本でも古代の稲作は直播方式であったのではないかといわれている。苗代あるいは育苗箱内で苗を育て,これを1株ずつ植える田植方式は,直播に比べると多くの労働力を必要とするにもかかわらず,日本で一般的に行われている理由は,(1)本田での生育期間が短縮され,土地の利用度を高めるとともに春先の不安定な気象条件から幼苗を保護することができる,(2)発芽したばかりの幼植物に比べて大きな苗を植えることにより,雑草に対する競争力が大きい,(3)苗を狭い苗代,育苗箱で育てることにより,苗の保護管理(保温するなど)が行きとどき,良い苗を選びそろえて移植することができるなどによるものである。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田植
たうえ

イネの苗を本田に移植することで、昔は挿秧(そうおう)ともいった。日本の稲作は初めは直播(じかま)き法であったが、奈良時代から田植による移植栽培が始まり、平安時代に入って一般化して以来、現在まで続いている。外国でもアメリカ、オーストラリア、イタリア、旧ソ連地域などとアジアの熱帯の一部では直播きであるが、それ以外の全世界の水稲作付面積の90%以上の所では田植を行っている。
 田植用の苗は苗代で育てられ、大きさは地域や移植の方法により異なるが、葉数で3~7枚のものである。昔からの手植えの場合には播種(はしゅ)後40~50日で葉数6、7枚の苗を用いたが、移植が田植機で行われるようになった現在では播種後約20日で葉数約3枚の稚苗(ちびょう)、または30~40日育てた葉数4~5枚の中苗(ちゅうびょう)が用いられる。田植の時期は、稲作期間の短い北海道・東北地方や、秋の天候が悪くて早く収穫しなければならない北陸地方、および秋の洪水回避を目的とする利根(とね)川沿いの地帯などではできるだけ早期とし、普通4月下旬から5月中・下旬である。一方暖地では秋が長く、二毛作などを行っている都合で一般に晩(おそ)植えで6月中・下旬になる。現在のように早期栽培が一般化しなかった昭和30年代までは、田植期は寒地・暖地それぞれ現行より1か月遅かった。
 従前の手植えは、まず苗代で苗取りし、小束にして根の泥を洗い、本田に運んだので根洗い苗とよぶ。本田は耕起し、堆肥(たいひ)や肥料をまき、水を入れて代掻(しろか)き、あぜ塗りなどを行って整地し、浅く水を張って、表土が落ち着き、水が澄むまで1、2日待つ。苗の植え付けには田植定規を転がして植え付け目盛りを表土につけてから植える型付(かたつけ)法や、目盛りのついた縄を張ってこれに沿って植える縄植(なわうえ)法などがあった。また前進して植える方法と後退しつつ植える方法があって、後者は土壌が軟らかい場合におもに用いられたが、これは地域の慣習でもあった。植え付けの配列は条に植えてゆくことが多く、条間と株間が同じ植え方を正方形植え、株間が条間より短いものを長方形植え、とくに半分より短いものを並木植えとよんだ。現在の田植機移植は並木植えである。1株に植え付ける苗数は暖地では3、4本、寒冷地や高冷地にゆくほど多く7、8本とした。また苗の葉数は寒冷地では5、6枚、暖地では6、7枚とやや大きい苗が用いられた。なお、多収穫技術として1株に1本の苗を植える一本植え栽培も行われた。東南アジアや中国では日本の場合より小さい苗を植え付けることもあり、また、より大きい苗を葉先を切って植え付ける方法も行われている。
 手植えによる移植は、稲作作業のなかで、稲刈りと並んでもっとも多くの労働時間(10アール当り約30時間)を要し、しかも短期間に植え付けなければならないために、早朝から夜まで雨天でも休めない重労働であった。このため昔から田植は大ぜいの共同作業として行われた。
 昭和30年代末ごろから農村では、田植のために一時に多くの労働力を集めることがしだいにむずかしくなり、労賃も高騰した。そこで唱道された機械化直播きが失敗に終わったあと、田植機が登場した。田植の機械化は第二次世界大戦中の農村の労働力不足のころから切望されていた。日本で開発された紐苗(ひもなえ)あるいはマット苗の土(つち)付き稚苗方式の機械が、手植えの5倍以上の能率を発揮したところから、田植機が急速に全国に普及することになった。1975年(昭和50)までには、機械の入ることができない強湿田や傾斜地の棚田などを除いて、ほぼ全国の水田のすべてに用いられるようになった。これにより田植の労働時間は大幅に短縮され(10アール当り1~2時間)、また田植機移植によって早期の植え付けと密植も可能になり、10アール当り収量も手植え時代より増加し、生産性の向上も果たしている。[星川清親]

民俗

サツキ、シツケなどともいい、稲作の過程でもっとも重要かつ労力を必要とする作業の一つである。技術的にはそれぞれの土地で自然条件や水田状況に応じた方法がとられ、各地の田植には特色があった。たとえば東北、中部地方では水口(みなぐち)にヒエを植えて稲苗に直接冷水が当たらないようにしたり、やはり東北地方では苗代田へは田植をしない通(とおし)苗代であったし、また強湿田での田植には田に特別のしつらえをしたり、舟などの用具を使うなど、各地にさまざまな対応がみられる。しかしこうした特色は、明治中期以降の水田改良や品種・技術改良によってしだいに平準化される方向をたどり、能率的な方法になってきている。移植法をみると、古くは一文字植え、ころび植え、廻(まわ)り植え、車(くるま)田植えなど各地にいろいろな方法があり、総じて乱雑な植え方であったが、明治30年代以降には正条植えが普及され、さらに近年は動力田植機が普及し、田植法は全国的に大差がなくなりつつある。
 田植は技術的には前記のような傾向にあるが、一方ではこの作業には複雑な労働組織があったり、男女による作業分担が決まっていたり、また田植儀礼にみられるように田の神祭りの要素が強く、さまざまな禁忌を伴っているという注目すべき点がある。稲作では各種機械が出現するまで田植と収穫には多くの労力を要し、家族だけでは足りず、家族外からも労力を求めたため、そこに一種の労働組織ができていた。とくに田植は、水利などの関係から短期間に集中し、そのうえ1日で作業を終えるという心意が伝統的にあり、しかも機械化が遅く、近年まで手植えであったので、わが国の古くからの労働組織の形態をよく伝えていたのである。
 この労働組織は各時代の社会経済相と深くかかわり、複雑化しているが、おおむね二つの形態に分けられる。一つは大田植などにみられるような本家、親方百姓の田植に分家や子方が賦役的に参加する形態であり、もう一つはモヤイ、ユイのように近隣の家々が共同、互助的な関係で田植をする形態である。大田植の形態やユイの語はともに平安時代からあり、両者は一方が古型というのではなく、土地の水田経営や家々の関係のあり方によって決まってきたと考えられる。田植には近在の者を雇ったり、他地方からの出稼ぎ者を雇って行うことも各地にあるが、これは江戸時代後期以降急増したことであり、こうした賃労働者の出現によって田植の労働形態はいっそう複雑になっている。
 田植は女性が苗取りと移植、男性が代掻(しろか)きと苗の運搬という分業体制をとるのが一般的である。このうち田植を行う女性をとくに早乙女(さおとめ)とよぶのは広くみられる。田植機の普及によってこの伝統的分業は崩れているが、早乙女の原義は田の神祭りの中心となる特定の女性のことで、田植時の作業分担は単なる労働分担ではなく、田植儀礼や田植禁忌とともに田の神祭りとしての性格を示している。[小川直之]
『『稲作の習俗』(『早川孝太郎全集 七』所収・1973・未来社) ▽『村落生活――村の生活組織』(『有賀喜左衞門著作集 五』1968・未来社) ▽倉田一郎著『農と民俗学』(1969・岩崎美術社)』

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世界大百科事典内の田植(え)の言及

【移植】より

…移植栽培が一般的な作物にはハクサイなど各種の野菜や水稲,イグサ,サツマイモ,タバコ,イチゴなどがある。水稲,イグサの移植を田植,サツマイモの移植を苗挿しとよぶ。草花の鉢物の移植は鉢上げ,鉢替えとよぶ。…

【イネ(稲)】より


【イネの栽培】
 イネの栽培方式は移植栽培と直播(ちよくはん)栽培とに大別される。移植栽培は別途に育苗した苗を,耕起し代搔き・整地した本田に田植する方式であり,直播栽培は耕起・整地した水田または畑に直接播種(はしゆ)して育てる方式である。日本で最も普通に行われている水稲の移植栽培を中心として,以下栽培法の概略を示す。…

【大田植】より

…地域の有力農民の門田(かどた)や神田などを,住民が総出で植える田植様式。本来,田植は一日で終えねばならぬとする信仰があり,近世以前は名主(みようしゆ)などの信仰的に重要な田は,一般の田植に先だって田の神を勧請(かんじよう)し大がかりに植えた。…

【車田】より

…田の中央から外へ円形に回りながら植える田植の方法およびこの方法で田植をした田をいう。新潟,岩手,岐阜,富山などの旧家の特定の田に伝承される。…

【早乙女】より

…田植に,苗を本田に植える仕事をする女性をいう。ウエメ(植女),ソウトメ,ショトメなどともいう。…

【さなぶり】より

…田植の終りに田の神を送る祭りで,田植始めに行うサオリに対する。〈さ〉は田植もしくは田の神を意味し,サナブリはこの神が昇天するサノボリの転訛といわれる。…

【農業】より

… 大和朝廷成立以後の正史の類からは,農業政策の動きが知られ,諸記録,編纂物,文芸作品などを総合すると,古代・中世についての農業の姿をほぼ知ることができる。《万葉集》にうたわれるところからは,苗代を作り,田植をし,早生稲(わせ),晩稲(おくて)があり,多くの沼田のあったことが知られる。沢合の湿田が主たる耕地であった時代を想定することができる。…

【ゆい(結)】より

…ユイは複数の家が組んで,同じ人数の労働力を同じ日数だけ互いに提供しあって同じ作業を行うもので,短期決済による労働力の等量交換に特色があり,各家が多くの労働力を集中的に必要とする場合に採用される。田植のユイがその代表であるが,稲刈りや脱穀など種々の農作業,屋根ふきなどの際にも行われた。ユイを結ぶ相手の家は,ユイが労働力の等量交換であることに対応して,対等な社会関係にある家々に求められるのが普通である。…

※「田植(え)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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