放生津城跡(読み)ほうじようづじようあと

日本歴史地名大系 「放生津城跡」の解説

放生津城跡
ほうじようづじようあと

[現在地名]新湊市中新湊・二の丸町

放生津潟からうち川が流れ出る地点の西側、放生津小学校一帯に位置した。当城付近には鎌倉中期に守護所が置かれ、同末期には北条氏一族で守護職を勤める名越氏も居住した。「太平記」巻一一によると、元弘三年(一三三三)五月守護名越時有らが出羽越後の南朝方が京都へ攻上るのを防ぐため二塚ふたづか(現高岡市)に陣を構えたものの、幕府方の敗報によって動揺が起こり、放生津城内で自刃したと伝える。のちの放生津城はこの名越氏の居館を引継ぐ形で築かれたものであろう。室町期に畠山氏が守護となると、神保氏婦負ねい射水いみず二郡の守護代を勤め、放生津に居城を構える。神保氏の守護代としての初見は嘉吉三年(一四四三)(同年一二月二七日「守護奉行人連署奉書案」徳大寺家文書)、遅くとも一五世紀半ばには放生津に拠点となる城郭が存在したとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む