敏満寺村(読み)びんまんじむら

日本歴史地名大系 「敏満寺村」の解説

敏満寺村
びんまんじむら

[現在地名]多賀町敏満寺

大尼子おおあまご村の南、青竜せいりゆう山の西麓に広がり、西を犬上川北西流する。中世までは敏満寺の門前町として繁栄したと思われる。近江猿楽下三座の一つ敏満寺座(申楽談儀)は当地を拠点にしたとされ、多賀社の神事猿楽に奉仕していた。慶長高辻帳に高一千二一六石余とある。天保郷帳には敏万寺村とある。明暦二年(一六五六)写の検地帳(敏満寺共有文書)には上田四六町余(一石三斗代)・中田二九町余(一石一斗代)・下田一七町余(九斗代)・下田当不作二反余(四ツ)、上畑五町四反余(九斗代)・中畑八反余(七斗代)・下畑二町九反余(五斗代)・下畑当不作五反余、屋敷一町三反余(一石代)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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