湖東焼(読み)コトウヤキ

デジタル大辞泉 「湖東焼」の意味・読み・例文・類語

ことう‐やき【湖東焼】

琵琶湖東岸の滋賀県彦根市付近で焼成された陶磁器井伊家藩窯となったが、文久2年(1862)廃窯。広義には明治28年(1895)まで同地方で焼かれたものも含む。

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精選版 日本国語大辞典 「湖東焼」の意味・読み・例文・類語

ことう‐やき【湖東焼】

  1. 〘 名詞 〙 琵琶湖の東、近江(滋賀県)彦根で作られた陶磁器文政一二年(一八二九)開窯、天保一三年(一八四二)井伊家の藩窯となり、そこで焼かれたもの。染付赤絵金襴手などの写し物特徴があった。文久二年(一八六二個人に払い下げられたが、まもなく廃窯。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「湖東焼」の意味・わかりやすい解説

湖東焼
ことうやき

滋賀県彦根市に江戸末期に開かれた陶磁器窯。初め陶窯隆盛の時流に誘われて造酒家仁右衛門(じんえもん)が城南の坂田郡原村に陶窯を開き、彦根の絹屋半兵衛が1829年(文政12)に本格的に参加し民窯絹屋窯(きぬやがま)が始まった。その後1842年(天保13)に彦根藩主第14代井伊直亮(なおあき)がこの窯を藩窯と定めたが、経営が行き詰まり、16代直憲(なおのり)のとき、62年(文久2)に藩窯は廃止となり、同年9月、藩窯時代の陶工が山口窯をおこしたが、95年(明治28)にそれも廃された。藩窯時代には「湖東」「金亀(きんき)湖東」「淡海彦城(おうみげんじょう)」「金亀山製」の銘款を製品に付し、染付、赤絵、青磁などの磁器の精品を焼き、日本の伝統陶磁も模倣して技巧の妙を発揮した。

[矢部良明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湖東焼」の意味・わかりやすい解説

湖東焼
ことうやき

彦根市で江戸時代後期に焼かれた焼物。文政 12 (1829) 年彦根の絹屋半兵衛が開窯。天保 13 (42) 年これを上納し,井伊直亮によって藩窯とされた。諸国より多くの陶工を招いて指導させ名品を焼いたが,文久2 (62) 年に廃窯。染付の作品が多いが,赤絵,金襴手 (きんらんで) ,錦手など,各種の陶磁を写した精巧な作も多い。なお井伊直弼時代のものには優品が多くみられる。

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デジタル大辞泉プラス 「湖東焼」の解説

(再興)湖東焼

滋賀県彦根市で生産される焼物。江戸時代後期に始まり、1895年に閉窯となった湖東焼を1986年に再興したもの。県の伝統的工芸品

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