日本歴史地名大系 「教倫堂跡」の解説 教倫堂跡こうりんどうあと 三重県:鈴鹿市旧河曲郡地区神戸城下神戸城跡教倫堂跡神戸城二ノ丸門前にあった藩校。本多忠統時代は三教(さんきよう)堂といい、忠統の書になる額「三教堂」が神戸小学校に残っている。当時は荻生徂徠の古文辞学が主流であったが、寛政異学の禁の影響を受け、文化九年(一八一二)藩主忠升の時朱子学に転向して、従来の学校を拡張するとともに名を教倫堂と改めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by