日本歴史地名大系 「敷河内村」の解説 敷河内村しきがわちむら 熊本県:八代市敷河内村[現在地名]八代市敷川内(しきがわち)町北方と西方に広大な干拓新田がひらけ、東部の山麓線に沿って立地する。北は奈良木(ならぎ)村、南は葦北(あしきた)郡日奈久(ひなぐ)村(現八代市)に接し、「国誌」によれば、八代郡と葦北郡との境木が薩摩街道の傍らにあった。建武二年(一三三五)五月一五日の名和義高寄進状(千家家譜)に「八代庄高田郷内志紀河内村」とみえ、出雲杵築(きづき)大社に寄進している。「八代日記」永禄元年(一五五八)一二月七日条に「木築ニテ御神楽」とある木築は「国誌」記載の「杵築大明神社」のことと思われる。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳では田方二〇九石七斗余・畠方二四石七斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by