藩政期までは水島・満島いずれも使われたが、唐津藩に提出する書類には「水島」とされた。明治以後は
唐津城築城(一六〇二―二八)以前の松浦川と
築城にあたり、満島山周辺の漁民は、改修により松浦川の対岸となった水島に移され、多くは山下姓を名乗った。また満島山にあった神社仏閣のうち八幡社・
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岡山県南部,倉敷市の中央南部臨海部にある新興市街地と工業地域を中心とする地区。近世に新田として干拓された地であるが,明治末から大正の高梁(たかはし)川改修により東高梁川が廃川となった地先に,第2次大戦末期に三菱重工業が航空機工場を建設し,廃川地を社宅用地とした。戦後,岡山県がこの地を工業基地とする計画を立て,10万トン級タンカーの入港可能な工業港を建設するとともに,埋立地を造成して1958年に三菱石油を誘致した。以来,干拓地転用や埋立地造成による工業用地に次々と企業が立地し,岡山県南新産業都市の中核となった。航空機工場は三菱の自動車工場に生まれ変わり,三菱石油,日本鉱業の精油所,それに関連する三菱化成などの石油化学工業,中国電力,川崎製鉄,さらに造船工場なども加わり,水島臨海工業地帯をつくり上げた。その中心は高梁川河口左岸であるが,児島地区(児島半島西岸)と玉島地区(高梁川河口右岸)にも延びている。
工業製品出荷額は1980年ころには岡山県全体の過半を占めていた。工業地帯の発展にともない,旧三菱社宅群は様相を一変して近代的な市街地となり,倉敷市の新しい核となった。反面,工場の集積につれて大気,水質の汚染など環境破壊が進み,コンビナート周辺の住民の中には公害病患者が多数発生した。74年末には三菱石油精油所の破損により,大量の重油が流出するという大事故を起こし,コンビナート防災の必要性を提起した。1980年代に臨海コンビナートの拡大は中止され,中国自動車道の83年全通を契機に津山盆地などの内陸に工業団地の造成が進められた。95年現在の水島臨海工業地域の製造品出荷額は2兆9751億円で,県全体の43%となった。
執筆者:由比浜 省吾
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…山陽本線,山陽新幹線,国道2号線などが通る。市域は岡山平野西部,児島半島西部を占め,倉敷,児島,玉島,水島の四つの中心がある。倉敷は高梁(たかはし)川が堆積した平野に農地開発が行われて発達した町で,17世紀に幕府の代官所が置かれて以来,備中の政治・経済の中心となり,倉敷川の両岸に問屋や蔵屋敷が集中し,それが地名の起源となった。…
…31年マツダの3輪トラック製造が始まり,戦後は乗用車へと発展した。第2次大戦中,軍需産業の強化,長崎の造船業が広島へ工場疎開するなどして,電機・航空機(水島)などが立地した。幕末~明治初期に山口炭が塩業向けに増産されるに伴い,宇部村は石炭の産業化(セメントや肥料)を広げ,1921年村から一気に市制をしき,42年宇部興産が誕生した。…
…古くは川島川,川辺川,松山川と呼ばれていたが,明治になって沿岸の旧城下町松山が高梁と改称されたのにともない,河川名も高梁川となった。新見市北部,鳥取県境にある中国山地の花見山(1188m)に発し,本郷川,小阪部(おさかべ)川,成羽(なりわ)川,小田川などの支流をあわせて倉敷市で水島灘に注ぐ。上流部の中国山地でたたら製鉄が明治期まで行われていたため,大量の土砂が排出され,これが下流の沖積平野の形成を促進した。…
※「水島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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