日本歴史地名大系 「文武学校跡」の解説 文武学校跡ぶんぶがつこうあと 長野県:長野市松代地区松代城下殿町・片羽町・厩町文武学校跡[現在地名]長野市松代町殿町松代城の南二〇〇メートルの地にある。藩主真田幸貫は、佐久間象山が家老の矢沢監物に提出した「学制改革意見書及び学堂規則」の意見により、嘉永五年(一八五二)江戸藩邸に文武舎を建設するとともに、城下に大規模な文武学校建設を計画。幸貫の死後、嫡孫幸教が翌六年完成。安政二年(一八五五)開校式を挙行。水戸の弘道館を模範としたといわれ、南入口に冠木門があり、東側に剣道場・東序(教室)、西側に番所・西序があり、更にその西に柔道所・弓術所・槍術所(現在長国寺庫裏)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報