斎藤良衛(読み)サイトウ リョウエイ

20世紀日本人名事典 「斎藤良衛」の解説

斎藤 良衛
サイトウ リョウエイ

大正・昭和期の外交官 会津短期大学学長。



生年
明治13(1880)年11月15日

没年
昭和31(1956)年11月4日

出生地
福島県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治学科

学位〔年〕
法学博士

経歴
福島県士族医師・斎藤良淳の嗣子として生まれる。明治43年外務省に入り、大正7年通商局第1課長。同年9月課長室にて短銃狙撃事件に遭う。のち米国在勤、欧米局、情報部第1課長を経て、15年通商局長。昭和2年満州鉄道理事を経て、第2次近衛内閣の外交顧問となり、15年松岡洋右外相の下で日独伊三国同盟締結交渉などに協力した。26年会津短期大学学長に就任著書に「支那経済条約論」「近世東洋外交史序説」「欺かれた歴史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤良衛」の解説

斎藤良衛 さいとう-りょうえい

1880-1956 大正-昭和時代の外交官,教育者
明治13年11月15日生まれ。外務省にはいり,大正15年通商局長。満鉄理事をへて第2次近衛(このえ)内閣の外交顧問となり,松岡洋右(ようすけ)外相の日独伊三国同盟締結交渉などに協力。昭和26年会津短大学長。昭和31年11月4日死去。75歳。福島県出身。東京帝大卒。著作に「近世東洋外交史序説」など。

斎藤良衛 さいとう-よしえ

さいとう-りょうえい

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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