斎藤邦吉(読み)サイトウ クニキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「斎藤邦吉」の解説

斎藤 邦吉
サイトウ クニキチ


肩書
衆院議員(自民党),元・厚相,元・自民党幹事長

生年月日
明治42年6月26日

出生地
福島県相馬市

学歴
東京帝国大学法学部法律学科〔昭和8年〕卒

経歴
昭和8年内務省入省。神奈川県地方課、内務省警保局図書課勤務の後、静岡県教育課長、厚生省勤労局企画課長、厚生・労働各大臣官房総務課長、労働省職機安定・労政各局長を経て、28年労働事務次官就任。33年政界入りし、福島3区から衆院議員に当選12回。この間、38年大蔵政務次官、39年内閣官房副長官、41年自民党総務、47年厚生大臣、51年党副幹事長、53年幹事長、55年厚生大臣、57年行政管理庁長官を歴任。労働・厚生畑の政策通として知られる。“自民党40日抗争”の際は幹事長として、手堅い党内運営で政局を乗り切った。宮沢派会長代行。

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和62年〕

没年月日
平成4年6月18日

家族
長男=斎藤 邦彦(労働事務次官)

資格
?護士

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「斎藤邦吉」の解説

斎藤 邦吉
サイトウ クニキチ

昭和期の政治家 衆院議員(自民党);元・厚相;元・自民党幹事長。



生年
明治42(1909)年6月26日

没年
平成4(1992)年6月18日

出生地
福島県相馬市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部法律学科〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和62年〕

経歴
昭和8年内務省入省。神奈川県地方課、内務省警保局図書課勤務の後、静岡県教育課長、厚生省勤労局企画課長、厚生・労働各大臣官房総務課長、労働省職機安定・労政各局長を経て、28年労働事務次官就任。33年政界入りし、福島3区から衆院議員に当選12回。この間、38年大蔵政務次官、39年内閣官房副長官、41年自民党総務、47年厚生大臣、51年党副幹事長、53年幹事長、55年厚生大臣、57年行政管理庁長官を歴任。労働・厚生畑の政策通として知られる。“自民党40日抗争”の際は幹事長として、手堅い党内運営で政局を乗り切った。宮沢派会長代行。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤邦吉」の解説

斎藤邦吉 さいとう-くにきち

1909-1992 昭和時代官僚,政治家。
明治42年6月26日生まれ。厚生省にはいり,のち労働省にうつり労政局長,事務次官などをへて,昭和33年衆議院議員(当選12回,自民党)。第2次田中内閣,鈴木内閣の厚相,第1次中曾根内閣の国務相となり,自民党幹事長もつとめた。平成4年6月18日死去。82歳。福島県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「斎藤邦吉」の解説

斎藤 邦吉 (さいとう くにきち)

生年月日:1909年6月26日
昭和時代の官僚;政治家。衆議院議員;厚生大臣
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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