鈴木内閣(読み)すずきないかく(その他表記)Suzuki Administration

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木内閣」の意味・わかりやすい解説

鈴木内閣
すずきないかく
Suzuki Administration

1980年6月の初の衆参同日選挙における自民党の大勝を受け,同年7月 17日に鈴木善幸首班として成立した内閣。ダークホースであった鈴木が自民党総裁に選出されたのは,選挙期間中の大平首相の死が同日選挙の勝利をもたらしたという判断があったといわれている。それまで田中角栄福田赳夫を軸に展開された自民党の泥沼の派閥抗争は,同日選挙の勝利以後小康状態に入った。鈴木内閣自体も「和の政治」,大平政治の継承を掲げた。鈴木内閣の最重要課題は赤字財政の建て直しであり,84年赤字国債脱却を目標に掲げ,増税による脱却を目指した大平内閣とは反対に,行財政改革により財政支出を抑制する方法を採用した。そして中曽根行政管理庁長官と図り,そのための機関として臨時行政調査会を発足させ,土光敏夫を会長に迎えた。しかし,赤字財政状態は好転するどころか,むしろ悪化するばかりで,内閣の目標は達成できなかった。そうした中で総裁任期満了の 82年秋に至り河本敏夫や安倍晋太郎が出馬の意欲を示したことにより,鈴木は挙党体制の確立を名目辞意を表明し,内閣は 82年 11月 27日に総辞職した。

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