デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤鳴湍」の解説 斎藤鳴湍 さいとう-めいたん 1822-1895 江戸後期-明治時代の儒者。文政5年生まれ。大槻平泉(おおつき-へいせん)にまなび,のち昌平黌(しょうへいこう)にはいる。帰郷して陸奥(むつ)仙台藩志田(しだ)郡松山領主茂庭氏につかえ,松山の郷学大成館館長となる。維新後は松山の千石小学校初代校長をつとめた。明治28年8月24日死去。74歳。本姓は菊地。名は驥。字(あざな)は子徳。通称は恭平。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例