斯波 忠三郎
シバ チュウサブロウ
- 肩書
- 貴院議員,東京帝国大学教授
- 生年月日
- 明治5年3月8日
- 出生地
- 石川県金沢市
- 学歴
- 工科大学(現・東京大学工学部)機械工学科〔明治27年〕卒
- 学位
- 工学博士
- 経歴
- 旧金沢藩の国家老の長男に生る。明治27年工科大学助教授、31年教授に就任。同年文部省より海外留学を命じられ、ヨーロッパ各国で舶用機関学を研究、34年グラスゴーでの英国工学会議に名誉会員として出席した。39年家督を相続し、男爵襲爵。同年海大教官となり、特許局技師を兼任。同年日本初の海底電線敷設船の設計、監督を嘱託された。大正6年貴院議員となり、12年航空研究所長。昭和2年国際経済会議、万国議員商議会等に日本代表として出席。6年満鉄に招聘され技術面を監督。7年東大教授を辞任。この他、満鉄顧問、日満マグネシウム、満州化学社長等を務めた。
- 没年月日
- 昭和9年10月3日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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斯波 忠三郎
シバ チュウザブロウ
明治〜昭和期の男爵 東京帝国大学教授;貴院議員。
- 生年
- 明治5年3月8日(1872年)
- 没年
- 昭和9(1934)年10月3日
- 出生地
- 石川県金沢市
- 学歴〔年〕
- 工科大学(現・東京大学工学部)機械工学科〔明治27年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士
- 経歴
- 旧金沢藩の国家老の長男に生る。明治27年工科大学助教授、31年教授に就任。同年文部省より海外留学を命じられ、ヨーロッパ各国で舶用機関学を研究、34年グラスゴーでの英国工学会議に名誉会員として出席した。39年家督を相続し、男爵襲爵。同年海大教官となり、特許局技師を兼任。同年日本初の海底電線敷設船の設計、監督を嘱託された。大正6年貴院議員となり、12年航空研究所長。昭和2年国際経済会議、万国議員商議会等に日本代表として出席。6年満鉄に招聘され技術面を監督。7年東大教授を辞任。この他、満鉄顧問、日満マグネシウム、満州化学社長等を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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斯波忠三郎 しば-ちゅうざぶろう
1872-1934 明治-昭和時代前期の工学者。
明治5年3月8日生まれ。斯波蕃(しげり)の長男。東京帝大教授となり,ヨーロッパに留学。帰国後,川崎造船技師,海軍大学校教授となり,わが国最初の海底電線敷設船の設計にあたった。のち貴族院議員,航空研究所所長。昭和9年10月3日死去。63歳。石川県出身。帝国大学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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斯波 忠三郎 (しば ちゅうざぶろう)
生年月日:1872年3月8日
明治時代-昭和時代の機械工学者。帝国大学教授;貴族院議員
1934年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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