新喜多新田(読み)しぎたしんでん

日本歴史地名大系 「新喜多新田」の解説

新喜多新田
しぎたしんでん

[現在地名]城東区新喜多一―二丁目・新喜多東しぎたひがし一―二丁目・天王田てんのうでん永田ながた一丁目・諏訪すわ一丁目、都島みやこじまかた町二丁目など

宝永元年(一七〇四)の付替えにより、水量の減少した大和川河道を開墾してできた村。大坂三郷相生東あいおいひがし(現都島区)から南東方向へ細長く延び、幅四七間・長さ二〇町、反別二七町余。東は河内国若江郡新喜多新田(現東大阪市)。新田内にわずかに残った旧河道には、若江郡新喜多新田方面から北流してきた長瀬ながせ川と楠根くすね川が流れ込み、新喜多橋の下流徳庵とくあん川と合流、寝屋川となって西流する。寝屋川北岸を古堤ふるづつみ街道が通り、新喜多橋を経て今福いまふく村に至る。村名は開発者である鴻池新十郎・鴻池喜七・今木屋多兵衛三名の名前の頭文字をとったものという(東成郡誌)

新喜多新田
しぎたしんでん

[現在地名]東大阪市新喜多・川俣かわまた一丁目・同三丁目

大和川の付替えで水量の減少した長瀬ながせ川の川床に開発された。若江郡に属し、東は森河内もりがわち村・川俣村西堤にしづつみ村、西は森河内村・高井田たかいだ村、南は同川に開発された渋川郡菱屋西ひしやにし新田。東西にくらがり峠越奈良街道が通り、中央を流れる長瀬川には橋が架かっていたという。宝永二―五年(一七〇五―〇八)に大坂の両替商鴻池新七が開発し、新七より同加賀屋四郎兵衛に、さらに安田某へと所有権が移った(規矩家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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