新多村(読み)にいだむら

日本歴史地名大系 「新多村」の解説

新多村
にいだむら

[現在地名]小竹町新多

遠賀おんが川の中流左岸に位置し、東は勝野かつの村、北東新山崎しんやまさき村。新田村とも書いた。慶長年間(一五九六―一六一五)までは勝野村に属していたといい(続風土記拾遺)、小早川時代の指出前之帳では同村に含まれていた。また元禄国絵図・天保郷帳などで当村の枝郷として高付されていた山崎村は、宝永六年(一七〇九)以降は新山崎村の内となった(林文書)江戸時代は福岡藩領であったが、元和九年(一六二三)から延宝五年(一六七七)、および元禄元年(一六八八)から享保五年(一七二〇)までは東蓮寺藩(直方藩)領であった。貞享元年(一六八四)書上の黒田長寛拝領東蓮寺藩領郷村高辻目録(阿部文書)では高七五二石余、田圃志には新田村とみえ、高は同じく七五二石余、反別六七町五反余、家数四六・人数二五四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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